午後ティ。




 1、2、3、とホーロー製のポットに紅茶の葉が落とされた。
(丁寧な手つきで熱湯を注ぎ、なおかつティーカップを用意して、最後にチョコレートの箱を開ける)
 やがて出来たての紅茶をそそぐ柔らかな音と、暖かな湯気が漂えば――完成。
「おいしい! とてもおいしいです、赤音さま」
 ぱっと顔を上げた三十鈴が、子供のようにはしゃいだ賛辞を口にした。
「気に入っていただけて何よりです。内心『こんな茶が飲めるか―!』と卓袱台を引っくり返されないかドキドキしてましたから。もちろん冗談ですけど」
 快活におどけて胸を撫で下ろした少年に、クスクスと優しげな笑い声が応える。
「よろしければ、もう1杯飲んでやってください」
「はい、喜んで」
 恭しく言われた言葉に、こくりと大きく頷いた。どこか小動物めいた仕草が、実年齢より幼く見える。
 日頃から仲の良い2人は、端から見ても、まるで年の近い姉弟のように映った。
 だが次の瞬間、空っぽのカップに触れた赤音が、ピタリと止まる。
 ……聞き慣れた足音が近づいていた。
「あ、師範代」
 開け放たれた襖から、予想通りの長身が姿を見せる。
 なんとなく本能的に危機を察知した伊烏は、さっと黙礼して足早に通り過ぎようとした。
「あの、伊烏さま」
 だが、三十鈴の呼び声で、ピタリと反射的に止まってしまう。
「師範代もどうです?」
 すかさずティーポットを掲げた赤音が、にっこり笑顔で誘いかけた。
 日本茶にこだわるわけではないが、西洋茶に関して伊烏は今まで食わず嫌いを通している。
 いくら勧めようと断り続けた過去を踏まえて、わざと三十鈴の前で誘ってみせるところに、赤音の赤音たる所以があった。恨みがましい顔の伊烏は、根性悪な後輩を睨みつけたが、涼しい顔で明後日を向かれる。
 だが、すぐに諦めの溜息をつくと、渋々三十鈴の前に腰を下ろした。
 これしきの悪戯は日常茶飯事。いちいち咎めていては身がもたない。
「では、いただこう」
 言った途端、カチャリと目の前にカップが置かれた。
 琥珀に透ける水面から、仄かな香りが渦を巻いて立ち上る。
 思わず眉間にシワを寄せて腕組みをした伊烏は、しばらくの間、未知の生物と睨みあう構図になった。
 だが、やがて覚悟を決めたのか、むんずとカップを片手で掴むと、ごくごく喉を鳴らして一気飲みする。
 味わい方から間違っているが、それはさておき。
「どうでした?」
 さっそく『興味津々』と顔に書いて赤音が訊ねた。
 流石にプロ顔負けと自称するだけあって、味も香りも申し分ない――はずだが。
 苦いのか甘いのか、飲み慣れない味に眉間を深めた伊烏は、なんとも複雑な表情をした。
「……飲めるぞ」
 ぼそりとそれだけ答える。
 アハハハと遠慮もなしに赤音が噴き出し、やはり堪え切れない様子でクスクス三十鈴も笑い出した。
 再び憮然と腕組みをした伊烏は、ごほりと誤魔化すように咳払いをする。
 紅茶とチョコレートの香りが漂う、穏やかな初秋の午後。


 遠い日々だった。