あるいは鬼灯




 ぽとり、と幾つか転がった、茜色。
(赤で、緋で、朱で、紅だ)
 かがち。あかがち。ぬかずき。
(鬼の灯。おにび)
 ほおずき。


 刻々と文月の庭が翳ろうとしていた。
 傾いた西陽が影を長め、近くの雑木林では猛り狂ったように気忙な蝉が鳴いている。
 絶えまぬ風間を計るように、ちりちり風鈴の音も聞こえた。
「あれ? 鬼灯ですか」
 濡れ縁に座った三十鈴の膝には、熟した実が幾つか置いてある。
 並んで腰かけた赤音を見やって、こくりと愛らしく頷いた。
「はい、ご近所の方からいただきました」
 言いながら丁寧に皮を剥き、中の実を丹念にもみほぐす。
 思えば昔から、彼女は鬼灯の鳴らし方が上手かった。
 時折、傍らに向ける微笑みを、誰より清楚で美しいと感じる。
 やがて種を取り出し終えると、ひとつ赤い実を頬張った。
 きゅうきゅう子鼠の鳴くような音がする。
「お上手ですね」
 褒めながら鬼灯の実をひとつ取った。
 見よう見真似で種を取り出すと、空っぽの実を口に放って「うわ、苦」と顔をしかめる。
 そのまま鳴らそうとして失敗した。
 だが元々手先が器用なので、無事に二つ目からは口の中で音が出始める。
「お上手です」
「いえ、まだまだ」
 そう言いあって笑いあう。
 薄く透ける萼袋は、見た目だけでなく手触りまで和紙細工そのものだ。
 ぽとり、と置かれた茜色、幾つか。
(赤で、緋で、朱で、紅の)
 かがち。あかがち。ぬかずき。
(鬼の灯で)
 ほおずき。
「もうすぐ日暮ですね」
「はい、もうすぐです」
 早々と西陽の沈む日暮だが、ヒグラシの声には、まだ早かった。
(ぽとりと指先から、ひとつ)(炎で、焔で、血で、痕だ)(茜色)
 あるいは、鬼灯。


「珍しいな、鬼灯ですか」


 ほんの束の間、自分の声が他人のように想えた。
 何時ものように鏡台の椅子に腰掛けると、今日は具合の良いらしい“姉”が、こくりと首を縦に振った。
 緋色に透ける鬼灯を、ひとつ膝上にのせている。
「うん。看護婦さんからもらったの。きれいだよね」
 白色の壁、白色の床、無色の空気。
 広々と寒々しい病室は、不十分に浄化された無彩色で、ぽつり手の中に、暖色。
 ひとつ口に含んでいるのか、きゅうきゅう鬼灯の鳴る音が聞こえた。
「お上手ですね」
 心底から褒めると、まるで幼女のように小首を傾げ。
「あかねも、上手だったよね」
 ぽつり、歌うような声で言った。
(赤で、緋で、朱で、紅の)
 ぽとり、と幾つか置かれた、茜。
(鬼の灯。おにの火)
 ひとつ、ほおずき。


「いいえ。おれは、下手なままです」


 数秒後には元の笑顔を取り戻したが、その無意味さを知っている。
 声音に含まれる僅かな色を感じ取って、彼女は不思議そうな顔をした。
(茜の空から隔たれた部屋で、ぽつり紅色)
 日暮の空すら痛む目に、その手の平は、沈む夕陽の茜色。
 細く病み衰えた指先から、ぽとり、ひとつ。
「もうすぐ日暮ですね」
 答えの代わりに、ぽとり、ひとつ。
(赤で、緋で、朱で、紅だ)(かがち。あかがち。ぬかずき)(鬼の灯)
 ぽとり、と落ちて、ことり、とも動かない。
 ある文月の日暮の話。
 偽りから生まれ虚ろに生きる部屋の中、誰にも知られない嘘があった。


(ぽつり、ひとつ)


 それだけの話。