雪の刻、花の刻




 雪の刻に生きた。
 花の刻に死んだ。
 ――刃鳴の刻に。


(はらり、深紅)(ひらり、真紅)


 三日三晩、雪の降り続いた午後だった。
 正午には峠を越えたものの、まだ粉雪が散り続けている。
 普段は緑を成す照葉樹林も、大方が雪を被って白い。
 密に繁った樹木も雪の重みには耐え切れず、枝をしならせ項垂れた。
 時折、呻き声のように聞こえるのは、凍った幹の軋む音だ。
「なんで、こんな寒い日に散歩しなけりゃならねえんだよ」
「ふむ。強いて言うなら、あれだな。風の吹くまま気の向くままだな。ゴーイングマイウェイとも言う」
 雪を纏った樹幹は薄闇に呑まれ、互いに輪郭を融け合わせている。
(色素の薄い琥珀の髪。小さな肩。細くて長い手足)
(艶やかに長い紅色の髪。長身の背。軽やかな足取)
 けっと吐き捨てた後続者に、振り向き様、ひょいっと手袋を放り投げる。
「……何だよ、これ」
「使え」
「あ?」
「冷え性だろ、君」
「いらね」
「そう遠慮するな」
「いらねえつったら、いらねえ」
「やれやれ。強情な子だな。お姉さんは悲しいよ」
「いつから誰があんたの弟になったんだよ。おいこら撫でんな、頭を」
 まだまだ子供らしい悪態に、ふふっと肩をすくめて笑った。
 葉擦れの音に代わって、凍れる枝葉の軋む音が聞こえる。
 足を踏み出すごとに、靴底で雪がぎゅっと鳴った。
(はらり、深紅)(ひらり、真紅)
 やがて姿を見せたのは、雪に埋もれる紅の花だ。
(滑らかに光る深緑の葉)(細工物じみた黄色の色彩)(凛と咲いた濃紅の花弁)
 諸々の花がまどろむ冬景色に、綺麗に咲かせた異端の花だ。
(ひめつばき。こつばき。さざんか)
 見目のよく似た椿と比べて山茶花の花は散りやすい。
 華道に向かず椿のような華もないが、散りゆく姿さえ古より鑑賞の対象とされてきた。
 散り急ぐ風情に美学を感じる者も多い。
(雪の刻を生きて、花の刻に散る)
 遠からずに散る花だとしても、愛でる心を捨て去るつもりは、さらさら無かった。
「これを見たくてな」
「ふうん」
「きれいだろ」
「そうか?」
「お子様め」
「……年増女」
「何か言ったか?」
「んにゃ何も」
 目を細めると鈍色にくすんだ空が在った。
 凍てつく風には、いまだ小雪が混ざっている。
(はらり、深紅)(ひらり、真紅)
 今はまだ、すべてが等しく眠れる季節だ。
「なに見てんだよ」
「いや、きれいな顔だなと思って」
「バーカ」
 子供らしく温度の高い頬に触れ、雪の結晶が溶けるのを見つめる。
 吐き出した息は、白い雲のように流れて消えた。
 言葉の形を象ったまま、吹き過ぎる風に何処かへ飛ばされ見えなくなる。
 風の行方はわからない。
(もしも予感が正しければ、この子供は後十年生きないかもしれないな)
 銘、越後住光秋。刃長、二尺三寸三分。現代刀。
(――かぜ)
 それが、彼女の生んだ運命の一つだ。


(言ったろう。私は君たちを愛していると。それとも言いそびれたか?)


 ひめつばき。こつばき。
(雪の刻に生き、花の刻に散る)
 ――刃鳴の花だ。
 見目に似た椿よりも散りやすく、華道に向かず華もない。
 それでも散りゆく姿さえ鑑賞の対象とされた華。亡き急ぐ風情に美学を感じる者も多い。
(遠からず散る花だとしても、愛する心を捨てるつもりは、さらともなかった)
 やがて二つの足跡も埋もれ、荒涼とした雪の墓場に、ぽつりと紅の花だけ残った。
 まるで墓石に捧げた供花のように。


(はらり、深紅)(ひらり、真紅)(ぽつり、辛苦)


 ――――――早散花だ。